今回の記事で紹介するのは、『幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ』(岸見一郎、古賀史健 著)です。
私はこの本を通じて、「叱らない」というアドラー心理学の考え方の本当の意味に気付かされました。
この記事では、「叱らない」という視点から、「教師として子どもにどう向き合うか?」ということについて私が学んだことを書いていきます。
『幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ』(岸見一郎、古賀史健 著)
今回の記事で紹介するのは、『幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ』(岸見一郎、古賀史健 著)です。

この本は、前作の『嫌われる勇気』とセットで読みました。

『幸せになる勇気』は、前作でアドラー心理学に魅せられた青年が、教師という仕事を選び、実際の教育現場でアドラー心理学を実践しようとするところから始まります。
ところが、現実の教育は、そう簡単にはいきません。子どもたちは思うように動いてくれませんし、教師が考えたルールに反発することもあります。
「叱らない」というアドラー心理学の考え方を実践しようとしても、うまくいかない。結局、厳しく叱責する方向へ戻ってしまう。
そんな青年と哲人の対話を通して、教育とは何なのか、教師は子どもとどう向き合うべきなのかが語られていきます。教員として学ぶ部分が多いと感じたので、紹介します。
教育の目的は「自立」である
この本の中で、印象的だったのが、「教育の目的は自立である」という考え方です。
この本で語られる自立は、単に「自分のことは自分でできるようになる」という意味ではありません。
自立とは、自己中心性から脱却することなのだとされています。
そして、その自己中心性から抜け出すために必要なのが、「他者を愛すること」です。
他者を愛することによってのみ、自己中心性から解放され、自立することができる。
そして、他者を愛することによってのみ、共同体感覚にたどり着く。
この考え方は、とても印象に残りました。
前作の『嫌われる勇気』で示された目標に向かって、では「どのように進んでいけばいいのか」。
『幸せになる勇気』は、そのための行動指針を示したものとも言えるのだと思います。
「叱らない」だけでは、教育はうまくいかない
この本が特に興味深いのは、教育現場を舞台にしていることです。
教師が何かルールを決める。
すると、それに反発してくる子どもがいる。
そこで、アドラー心理学の考え方に基づいて、叱らずに対応してみる。
しかし、なかなかうまくいかない。
そして、うまくいかないことに苛立ち、最終的には厳しく叱責するようになる。
この悪循環は、教員として読んでいて、とてもよく分かるものでした。
ただ、ここで大切なのは、「叱らない」ということ自体が問題なのではない、ということです。
むしろ、子どもを叱ることによって言うことを聞かせるのではなく、子どもとの関係そのものをどうつくっていくのかということが重要なのだと思います。
「叱らない」という一つの手法だけを取り出して、それを実践すれば教育がうまくいくというわけではありません。
大切なのは、その背景にある「なぜ叱らないのか」「教師と子どもはどのような関係であるべきなのか」という考え方です。
この本では、そうした教育の根本にある考え方について、青年と哲人の対話を通して深く考えさせられます。
「ほめて伸ばす」も否定する?
もう一つ、この本を読んで特に印象に残ったのが、「ほめて伸ばす」という考え方についても否定的に捉えていることです。
「叱ってはいけない」という考え方は、アドラー心理学について少し知っている方であれば、なんとなくイメージできるかもしれません。
しかし、『幸せになる勇気』では、「ほめること」についても、その危険性が語られています。
その理由の一つが、「ほめる」という行為そのものが、能力のある人が能力のない人に下す評価になってしまうということです。
そして、評価の目的は「操作」である、とされています。
もちろん、子どもはほめられればうれしいものです。
「よくできたね」
「すごいね」
「がんばったね」
そう言われれば、認めてもらえたように感じるでしょう。
しかし、そこには一つの危険性があります。
それは、「ほめられるために行動する」ようになってしまうことです。
本来は自分のために学んだり、自分がやりたいから行動したりするはずだったものが、
「先生にほめてもらうため」
「親に認めてもらうため」
「叱られないため」
という目的に変わってしまう可能性があります。
さらに、ほめられることを目的にすると、今度は「他の人よりもほめられたい」という気持ちも生まれてきます。
「あの子よりも自分の方がほめられたい。」
そうなれば、周りの子どもたちは、ともに学ぶ仲間ではなく、競争する相手になってしまうかもしれません。
だからこそ、アドラー心理学では**「競争しない」ことも重要な考え方**として示されています。
これも、私にとって非常に印象に残った部分でした。
教師としては、「ほめる」という行為を善意で行っていることが多いと思います。
私自身も、子どもたちのよいところを見つけてほめることはあります。
だからこそ、「ほめることは本当に子どものためになっているのか」と、一度立ち止まって考える視点を持つことは大切だと感じました。
もちろん、だからといって「子どもをほめてはいけない」と単純に結論づける必要はないと思います。
大切なのは、子どもが「ほめられること」や「叱られないこと」を目的に行動するのではなく、自分自身の意思で行動できるようになることなのではないでしょうか。
子どもを「信頼する」ということ
そこで重要になってくるのが、信頼という考え方です。
相手を信頼する。
そして、その相手を受け入れる。
言葉にすると簡単ですが、実際の教育現場では決して簡単なことではありません。
教師として子どもと接していると、「どうしてできないんだろう」「どうして言うことを聞いてくれないんだろう」と思ってしまうことがあります。
そんなとき、子どもを変えようとするのではなく、まずその子を一人の人間として信頼する。
その上で、その子の成長を支えていく。
『幸せになる勇気』を読んで、私はそんな教育のあり方について改めて考えさせられました。
教師として、子どもをどう見ているか
『幸せになる勇気』を読んで私が最も考えさせられたのは、結局のところ、教師が子どもをどう見ているのかということでした。
子どもを「言うことを聞かせる相手」として見るのか。
それとも、自立に向かって成長していく一人の人間として見るのか。
その違いは、日々の声かけや指導の一つ一つにも表れるのではないでしょうか。
アドラー心理学について詳しく知らない方でも、教育について考えるきっかけになる一冊だと思います。
特に教員の方には、『嫌われる勇気』を読んだ上で、この『幸せになる勇気』を続けて読んでみることをおすすめします。
「子どもを教育するとは、どういうことなのか。」
そんな問いについて、自分自身の答えを考えるきっかけになる一冊です。
最後までお読みいただきありがとうございました。
